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   大宮小史
氷川神社写真 盆栽まつり写真

大宮という地名
室町時代のころ、武蔵一宮氷川神社を「大いなる宮居」と崇めたことに始まり、大宮は古くは氷川神社の門前町として、江戸時代は中山道の宿場町として栄えた。今日では、県下最大の交通の要衝として、また県下一の商都として発展している。
大宮発展の背景
−鉄道のまち・大宮−
□明治時代以降、大宮は鉄道と密接な関係をもち発展してきた。
1)東北本線の開通<明治18年3月>
後に大宮町長になった白井助七らは、当時計画されていた東北線の大宮駅設置に向けて、猛烈な誘致活動を展開した。高崎線と東北線の分岐地について、イ)熊谷 ロ)岩槻 ハ)大宮の3案があったが、 明治18年6月に大宮に決定した。
大宮駅開設、分岐地となり、大宮は交通の要衝となり、今日の発展の基盤がつくられ、明治27年には日本鉄道(国鉄)直営工場が完成した。
2)京浜東北線(大宮〜赤羽)の開通<昭和7年9月>
大正12年の関東大震災以後、都市開発が行なわれ、東武野田線の開通(昭和4年)、京浜東北線の開通は、都市化、東京通勤のターミナル化の引き金となった。
また、昭和10年代に入ると戦時体制が強まり、日進地区に造兵廠、宮原地区に中島飛行機工場が建設され、軍需物資輸送のため、川越線(昭和15年)が開通した。
3)新幹線の開通<昭和57年・新幹線元年>
昭和57年6月に東北新幹線が、同年11月には上越新幹線があいついで開通。大宮駅周辺の都市開発を促進させ、大宮をさらに飛躍させることとなった。
−製糸工場のまち・大宮−
□大製糸工場地帯としての発展
1)鉄道輸送の発展、原材料に恵まれていることが要因となり、明治40年に片倉製糸工場などがつくられ、製糸業が大宮の産業の中心として発展した。 製糸、織物業隆盛の陰で「女工哀史」が生まれた。

大宮駅と国鉄大宮工場
現在の駅舎は埼玉国体が行われた昭和42年に建てられた。国鉄大宮工場は当初、資材置き場として開設されたが、やがて新車を製造するようになり、名車D51187号、ED4010がここでつくられた。

■出発/大宮駅
↓徒歩2分
中山道大宮宿
↓徒歩15分
氷川神社
↓徒歩20分
盆栽村
↓徒歩15分
市民の森
↓徒歩10分
■到着/土呂駅

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